疲れている、とはどういう状態を指すのか。日本疲労学会は、この問いにすでに答えを用意している。「疲労」と「疲労感」は同じものではない、という答えだ。前者は心身への過負荷によって生じる活動能力の低下を指し、後者はその疲労が存在することを自覚する感覚を指す。学会は「疲労は『疲労』と『疲労感』とに区別して用いられることがあり」と注記している。休むのが下手な頑張り屋を「疲れていない人」だと思うのは、もしかするとこの二つの取り違えかもしれない。

「疲れ」は一つの言葉なのに、学会はそれを二つに割った

日本語の「疲れ」は一つの言葉だが、日本疲労学会はそれを二層に分けて扱っている。「疲労」は活動能力そのものの低下、「疲労感」はその状態を自覚する感覚で、不快感や活動意欲の低下を伴うことが多いとされる。学会が定める抗疲労臨床評価ガイドラインの緒言は、国内で疲労感を自覚している人を就労人口の約6割、4,720万人と推計している(平成11年、厚生省疲労調査研究班調査)。それだけの規模の感覚を、学会はあえて二層に割って定義している。同ガイドラインの別添として「抗疲労臨床評価における疲労感の評価方法」が定められており、そこでは検査法としてVisual Analogue Scale(VAS)を用いた「疲労感VAS検査方法」が推奨されている。測るものが違えば、測り方も違う。

大阪公立大学の健康科学イノベーションセンターは、疲労を痛み・発熱と並ぶ「三大生体アラーム機構」の一つと位置づけている。体に無理がかかっていることを知らせる警報だ、という説明である。センターはさらに、研究上は疲労を「過度の肉体的および精神的活動によって生じる作業能率や作業効率が統計的有意に低下した状態」と定義しており、これは自覚の有無に関わらず測定できる、客観側の定義にあたる。

だるさは「正確な警報」とは限らない

警報という比喩を借りるなら、厄介なのはここからだ。体という警報機は、鳴るべき時にいつも正しく鳴るとは限らない。健康長寿ネットの記事は、かつて疲労の原因とされていた乳酸が、実際にはパフォーマンス低下の犯人ではなかったという見直しの経緯を紹介している。疲労の仕組みについての理解そのものが、科学の内部でも更新されてきた分野だということだ。

疲労と疲労感がずれる組み合わせも、同じ理由で起こりうる。活動能力は落ちているのに本人は気づいていない状態と、能力は落ちていないのに重だるさだけを感じる状態——どちらも起こりうる。実際、抗疲労臨床評価ガイドラインの評価項目には、反応時間や正答率のような客観指標と、疲労のVASのような主観指標が並んで挙げられている。自己申告と実際の能力低下は、別々に確かめる必要があるものとして扱われている、と読める。心拍変動(HRV)の記事で書いた客観側の指標も、事情は近い。あの数字も、他人や他機種の値と比べたところで、拾えるものはほとんど無いと書いた。

「平気」を積み重ねた人ほど、警報は鳴りにくくなるのではないか

ここから先は、事実の外側にある解釈として書いておく。頑張り屋と呼ばれる人は、疲れを感じながらも動き続け、そのたびに「平気だった」という結果を積み重ねてきた人だと思う。だがこの成功体験の積み重ねこそが、疲労感という警報の感度を鈍らせている当のものではないか。何度も鳴らしても無視して平気だった警報は、次第に鳴る回数そのものが減っていく。休むのが下手なのではなく、休むべきタイミングを知らせる感覚のほうが、先に摩耗しているという見方もできる。

四六時中タフでいることが評価される空気の中では、疲労感を出さないことが美徳のように扱われがちだ。だがそれは疲労そのものが無くなったことの証明にはならない。警報を鳴らないよう調整することと、火元が消えることは、まったく別の話だからだ。

疲労感というものさしを、いったん脇に置いてみる

  1. 「今日は疲れていない」と感じた日ほど、疲労感以外のサインを一つ確認する。 作業のスピード、ケアレスミスの数、決断にかかる時間——数字や行動に表れる変化のほうが、感覚より先に落ちていることがある
  2. 休みの予定を、疲労感が出るまで待たずに先に置く。 積極的休養休養学の記事で書いた「疲れる前に休みを仕込む」考え方は、疲労感を頼りにしない休み方の設計でもある
  3. 「別に平気」と口にした回数を、たまに数えてみる。 多い時期があれば、それは元気の証拠ではなく、警報の感度が落ちているサインかもしれない

疲労感が薄いまま何週間も過ぎていく、あるいは逆に疲労感そのものが慢性的に重くのしかかる——どちらのサインが続いても、それは自己判断で片づけず医療機関に相談していい理由になる。物差しがずれることがあると分かっているのに、その物差しだけを信じ続けるのは、少し素朴すぎる態度だと思う。今日の自分の「疲れていない」は、体からの正直な報告なのか、それとも鳴らないよう調整されてしまった警報なのか。

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