「十分に飽き満るは後の禍あり」。腹をいっぱいに満たすことは、あとになって災いを残す、という意味だ。貝原益軒が1713年に記した『養生訓』の一節である。この本は全8巻からなり、日々の食事や運動、心の持ちようまでを、体と心の手入れとして説いた。「休むのは甘え」という空気は、いまも職場に残っている。だが300年前の日本には、これだけの分量で休み方と体の整え方を論じた本が、すでにあった。この事実そのものが、ひとつの反証になる。

全8巻を書き上げたのは、亡くなる前年だった

貝原益軒(1630-1714)は、福岡藩(現在の福岡県)の祐筆だった貝原寛斎の四男として生まれた。藩命によって京都に遊学し、朱子学や本草学を学んだ。名古屋大学医学部図書館の資料はこの経歴を伝えたうえで、『養生訓』を「和漢の事跡と体験に基づき、心身の健康と長寿を保つため、生活する上で心得ておくべきことを具体的に平易に説いた教訓書」と紹介している。書き上げられたのは1713年、益軒が世を去る前年のことだった。

内容は、中村学園大学のアーカイブでは巻第一から巻第八まで、全8巻に分かれている。一方、名古屋大学医学部図書館が所蔵する正徳3年(1713年)刊の版の記録では、史料名が「養生訓 4巻」、形態は「4冊」と数えられている。同じ本でも、数え方によって巻の呼び方が変わるということだ。京都の版元・永田調兵衛から刊行された。国立国会図書館サーチで「養生訓」を検索すると、角川ソフィア文庫の『口語訳養生訓』や中公文庫の『養生訓』改版など、現代の出版社が手がけた版だけでも何点も見つかる。300年前に書かれたこの本が、今も版を変えながら読まれ続けていることが、この検索結果からうかがえる。

腹八分目、食後に少し歩く。同じことがもう書いてあった

ここではその中から、今の食卓や夜の過ごし方にそのまま置ける3つの一文を見ていく。

食事について、益軒はこう書いている。「珍美の食に対すとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満るは後の禍あり」。ごちそうを前にしても八分か九分でやめておく。満腹まで食べれば、あとで災いになる、という戒めだ。「腹八分目」という言い回しは後世に広まったものだが、八分か九分でやめよ、という戒めそのものは300年前からもう文章になっていたことになる。

食べたあとの過ごし方についても指示がある。「ことに食後には、必数百歩、歩行すべし」。座ったままでいるのではなく、少し歩け、という一文だ。心については、「怒・哀・憂・思を過さず。心を平にして気を和らげ」と続く。怒りや悲しみ、思い悩みを行き過ぎさせない。心を平らに保て、という教えだ。

「整える」という言葉ができる、ずっと前からあった考え方

これらの一文は、現代の健康情報とも重なる部分がある。厚生労働省のe-ヘルスネットは、日中の運動量が眠りの長さや深さに関わると紹介している。運動習慣のある人は寝つきがよく、夜中に目が覚めることも少ないという内容だ。300年前の「ことに食後には、必数百歩、歩行すべし」という一文も、現代のこの紹介も、体を動かすことをすすめている点は同じだ。

留保をひとつ、ここに置いておく。『養生訓』は医学書ではなく、経験と儒教的な倫理観にもとづいた教訓書だ。効能を保証する記述として読むものではない。それでも押さえておきたい事実がある。300年前の日本に、体と心を毎日手入れする対象として扱った本が、京都の版元から刊行されていた。休むこと、整えることは、最近になって発明されたものではない。編集部の見立てを言えば、300年前の教訓書がこうして今また読まれ直しているのは、「頑張り続ける」だけでは体も心も保たないという事実に、時代が一周して戻ってきたからではないか。現代の書店に並ぶ「休養学」という一冊が16万部売れたのも、この態度が今もなお必要とされている証拠と言えそうだ。

今夜の皿は八分で置く。洗い物の前に、数百歩

  1. 今夜の食事は、皿の八分目あたりで箸を置いてみてはどうだろう。「もう少し食べたいな」で終えるのがちょうどいい。
  2. 食後、洗い物の前に、家の周りを数百歩だけ歩いてみる。特別な運動でなくていい。
  3. 寝る前に、その日の怒りや心配ごとを一つだけ書き出し、そこで一度手放す練習をしてみる。

食事の管理が必要な持病がある場合は、腹八分目という目安に自己判断でこだわらず、かかりつけ医に相談してほしい。

「十分に飽き満るは後の禍あり」。300年前に書かれたこの一文は、今夜の食卓にも、そのまま置いておける。

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